日経BP総合研究所 上席研究員 渡辺 和博

商品やサービスの開発現場で議論をしていると、「富裕層を相手に展開したい」という言葉がよく出てきます。ところが話している人も、聞いている私も富裕層には属していないので、なんとなく「お金持ちはこういうものを好むのでは?」と想像で話しています。今回は、注目されている富裕層市場向けのビジネスについて、少し考えてみたいと思います。

 野村総合研究所が2020年12月に公表した調査[注1]によれば、純金融資産(預貯金、株式、債券など金融資産の合計から負債を引いたもの)を1億円以上保有している個人や世帯を富裕層と定義しています。該当するのは、5億円以上保有する超富裕層を含めて、国内に約132.7万世帯あると推定しています。これは2018年の調査から約0.6万人増です。

 こうした人たちの消費を考えると、使えるお金に制約がある人との大きな違いは「選択肢が広いこと」です。古典落語の「千両みかん」では、冬が旬の温州みかんを夏場に食べたいという希望をかなえるために大金を積むという話ですが、それは極端な例としても、明確なニーズがあれば、非常に幅広い選択肢から最適なものを選べる裁量と自由度を持っているのが、この層の消費の特徴といえます。

 この「自由に選べること」というのがミソで、必ずしも選んだ結果が豪華なものや高額なものに限られるわけでもないようです。ただ、ありきたりのものや粗悪なものはそもそも選択肢に入らず、オリジナリティーのある品質のよいもの、丁寧につくられた心尽くしのものであることが前提で、それらで形づくられるほかにはない体験を求めていると考えられます。

 日本政府観光局では、富裕層をターゲットにしたインバウンド市場の拡大を推進しています。その議論の中で、富裕層を呼び込むには「テーラーメード」「シームレス」といった対応が必要だと分析しています。つまり、国内の消費者を相手にするようなマニュアル化された対応ではなく、その場その場で、客の要望を満たす努力をする臨機応変な対応(テーラーメード)や、特定の地域や特定の分野など限られた範囲ではなく、幅広く情報やサービスを提供できるなめらか(シームレス)な対応が求められているというのです。何でも選べる立場にある富裕層にとっては当然の要求だといえます。

 ところが、富裕層を意識して高品質なものや上質なものをつくったり提供したりするとき、日本では「一つの分野をとことん極める」や「良いものを出せば説明は不要」といったスタイルや考え方が、これまで美徳とされてきました。例えば食事では、高級な店ほど客側に選択権がなく、提供側が内容や提供順を決める「お任せ」が売り物になっています。

 富裕層をターゲットにしたビジネスを展開するには、提供するモノやサービスの質はもちろんですが、相手の嗜好(しこう)や文化をくんで客ときちんとコミュニケーションを取ることが大切になってきそうです。結局、提供する「モノやサービス」は手段であり、それを通じていかに個別で特別な体験を提供するかが成功の鍵になります。

[注1]「純金融資産保有額の階級別にみた保有資産規模と世帯数」(株式会社野村総合研究所、2020年)